佐倉市の概要
佐倉市は、千葉県の北部に位置し、周囲は八千代市・千葉市・四街道市・八街市・印旛村などと隣接しています。市域は、印旛沼の南に広がる台地・傾斜地からなっており、その間を鹿島川や高崎川、小竹川などが流れ、印旛沼に注いでいます。年間の平均気温は15℃前後と比較的温暖な気候に恵まれており、印旛沼周辺、佐倉城址周辺、東部・南部の農村地帯などには豊かな自然が残っています。
佐倉のあゆみ
印旛沼南岸は、弥生時代から古墳時代にかけて独特の文化が花開いた地域です。印旛沼東岸にある古墳群に比べると、大きさという点からやや見劣りしますが、特に弥生時代から古墳時代への墓制の変遷を知る上で貴重な遺跡である「飯郷作遺跡」と市内最大の前方後円墳の「山崎ひょうたん塚古墳」が知られています。
鎌倉・室町時代を通じて、下総守護として勢力を誇っていた下総千葉氏は戦国時代になると本佐倉城を拠点とし、ここに佐倉千葉氏が誕生しました。その後、21代目千葉親胤は鹿島幹胤に命じて鹿島城(後の佐倉城)の建立に着手しますが、親胤は暗殺され、幹胤も建設途上で死去し、その後完成を目指した千葉邦胤は家臣に殺害されました。そのようなうちに豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏が没落すると、鹿島城は建設途上で焼かれ、北条方だった千葉氏も没落していきました。
江戸時代になると、江戸の東方を守る重要な拠点として、土井利勝が鹿島城を改造して佐倉城を築きました。その後、入城した堀田氏によって佐倉は城下町として繁栄することとなります。幕末の老中堀田正睦は蘭学を奨励し、佐藤泰然に順天堂(現在の佐倉順天堂)を開かせ、全国からの塾生たちが西洋医学を学びました。そして「西の長崎、東の佐倉」と呼ばれるほど、西洋医学のまちとして栄え、日本の近代医学の基礎を築きました。
明治には廃藩置県により佐倉県が置かれ、まもなく印旛県と改められます。その後の町村合併の流れは、1889年に佐倉町が誕生、1920年に佐倉町と内郷村が合併、1954年に佐倉町・臼井町・志津村・根郷村・和田村・弥富村が合併し、佐倉市の誕生に至ります。さらに旭村字馬渡、四街道町(現在の四街道市)の生谷・畔田・吉見・飯重・羽鳥が佐倉市に編入され、現在の市域が形成されました。こうして佐倉市は人口17万人を超える都市に成長し、「緑の中に育まれた、歴史と文化の風情が漂うまち」として現在も歩んでいます。
佐倉の名前の由来
昔、この地で生産された麻布の貯蔵庫があったことから「アサクラ」が転じて「サクラ」になったという説や、清い倉があったことから「すがすがしい」という語源をもつ「さ」という言葉をつけ、「さくら」と呼ぶようになった説などがあります。
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和田ふるさと館歴史民俗資料室 |
| 住所: |
〒285-0052
千葉県佐倉市八木850-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
和田公民館 043-498-0417
和田ふるさと館 043-498-4000 |
| 開館時間: |
10:00〜17:00 |
| 休館日: |
第2・第4月曜日、12月28日〜1月4日 |
| 入館料: |
無料 |
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